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JICA青年海外協力隊 日本人は物乞いにお金をあげるべき?あげないべき?

物乞いの子供にコインをせびられた・・・どうするのが正解なのだろうか?
発展途上国で生活するJICA青年海外協力隊の方なら、一度は物乞いにお金をせびられた経験があるのではないでしょうか。
  • 相手は大人の場合もあれば子供の場合もあります
  • 目が不自由なおばあさんが小さな子供を連れて街を回っている事もあります。
  • 手首の先がない人もいます
  • 足が象のように腫れ上がっている人もいます

 

 

そんな人達がスーパーの入り口で何人も陣取っている光景を何度も目にしてきました。
これは日本人にとっては悩ましい問題ですよね・・・
もちろん何とか力になってあげたい気持ち、いや、何かしてあげなければという気持ちがある一方、
どうしたらいいか分からないまま、その場を立ち去ってしまったという経験は皆さんもっているのではないでしょうか。
先に私自身がどうするかを答えておくと
気分や状況によってあげたりあげなかったりする。
物乞いにお金をあげる、あげないに関しては色々な考え方があるかと思います。
様々な人の物乞いへの対応を見ながら、一緒に考えてみませんか?

公平じゃないから物乞いにお金をあげない

「一人の人にあげるとみんなにあげなきゃいけなくなるから。」
だから物乞いの子にはお金をあげない。
何処かの誰かがSNSかなにかでこんな発言しているのを見ました。
一人にあげたら他の人にもあげないと良心が許さないから
という事でしょうか。
または、
一人にあげて他の人にはあげないと、不公平だと非難を浴びるから
という事かもしれません。
いずれにせよ、こういう意見を聞くとなぜか
「ハトにエサをやらないで下さい」
の看板を思い出したりします。
私の場合、こういう意見を見聞きすると、あまりいい気持ちがしないのは確かなようですね。

物乞いなんてしてないで、働けよ

これは物乞いが成人以上で、健康そうに見える場合に限りますが、
「働け」
「神に祈れ」
と突っぱねる人も一定数います。
「いつも協会に行って、神様神様言っているだろう?だったら自分じゃなくて、神様にお願いすればいいじゃないか」
というようなニュアンスなのでしょうが。
・・・これは意地悪ですね。彼らの心のよりどころである神を否定するような発言をわざわざする必要はないかと思います。
働け、というのは、確かに傍から見ればもっともな意見のように見えますね。
実際は何か事情がある事も否定できない一方で
金持ちの外国人を見て、小銭をたかってやろうとたくらんでいる可能性も否定できません。
KAERU
KAERU
中東の物乞いは年収400万だか800万だか、という話です。
いずれにしても、
健康そうな大人に対しては「あげない」という選択をする人が多いですね。
私もあげたことはありません。
他には・・・
  • モノをあげると調子に乗るから
  • それが当たり前だと思われるから
  • 根本的な解決にはならないから
このような意見も割と見られますね。

 

物乞いへの対応 ウチの現地人スタッフの場合

以前一緒に働いていた現地人スタッフがいるのですが、
彼は、相手がたとえ健康そうで、働く体力がある立派な大人であっても、
物乞いにお願いされたら黙って差し出します。
彼は決して裕福な訳ではありません。
私は、友人のお見舞いに持っていくはずだったフルーツを物乞いに差し出す所を見たことがあります。
神様の教え、という事もあるかと思いますが、
こうする日本人はなかなかいないのではないかな、
相手がウソをついているとか思わないのかな

と思ったものです。

物乞いへの対応 私自身はどうする?

冒頭でも言いましたが、私は気分や状況であげたりあげなかったりします。
もう少し詳しく説明すると、
  • ジュースを飲んでいる時に言われたらあげる
  • パンを食べている時に言われたらあげる
  • おつりに小銭があったら、あげる(場合もある)

 

という感じでしょうか。そうそう外でジュースを飲む事もないですし
基本的にはあげないという姿勢を取っています。
理由としては キリがないから ですね。
物乞いの子供は何度も何度も

「Boss, please give me a coin」というセリフだけを、まるでテープレコーダーかのように繰り返して、

ずーーーーーーーーっと後を付いてきます。
期待に応えられないという苦しさに耐え切れず、コインを渡すこともあります。
その時の私の本心が
期待に応えられない苦しさなのか
それとも
ウザいからさっさと追い払いたいという気持ちなのか
自分でも良くわからないんですよね。
そして、何かをあげた場合は、
それほど悪い気持ちにはならない
むしろ、少し気持ち良かったりする、というのもまた事実だったりします。

コインをあげれば助かるという事実

物乞いの人たちが本当に困っているという前提で、
仮に物乞いの子がおなかを空かせて倒れそう、という状況であれば、
少なくともコインを渡してあげれば、たとえ根本的な問題は変わらないにしても、その状況が多少は改善するのは事実でしょう。
お金をあげれば助かるというのは紛れもない事実です。
が、
助けなくても、誰もとがめません。
だから、自分の思った通りにすればいいというのが私の意見です。
不公平だろうが偽善だろうが、
助けたいと思ったならコインをあげればいいし、
助けたいと思わなければコインはあげなくていい。
お金に余裕があって、助けたいと感じたのなら、僕はコインを上げてもいいと思います。
不公平だろうが偽善だろうが、
お金がなくて困っている人にお金をあげて、結果ちょっとだけ空腹を満たすことが出来た
というのは事実ですからね。

いつか何かしらの形で自分に返ってくると信じてコインをあげる人もいるでしょうし

助けられない現状を変えたくて、将来貧困問題に取り組む団体を目指す人もいるでしょうし

面倒に関わりたくないからと見ざる聞かざるを押し通す人もいるでしょう。
それでいいと思います。

そういえば、先ほど登場した、「以前一緒に働いていた現地従業員」ですが

 

最近、がんの宣告を受けました。

 

現実は無慈悲なものです。

途上国の一般市民ががんになったら、助かる見込みは薄いでしょう。治療費なんて払えません。

彼が物乞いにフルーツを上げた事なんて忘れているかもしれませんが、

そのような慈悲の気持ちに溢れた生き方について、一体どう思っているのでしょうか。

情けは人の為ならず?

物乞いにコインをあげるべきか、あげないべきか
この問題に正解はありません。
あるのは、コインを上げたら、ほんの少し、しかし確実に、彼らの助けになる という事実です。
だから難しいんですよね。
青年海外協力隊という立場であれば、ほとんど全ての人は物乞いの人に対して何もすることが出来ません。
もしその状況を変えたいと思うのであれば、自分が変わっていくしかないでしょう。
これは物乞いの話でなくても、活動においても同じことが言えると思います。
簡単に答えが出る問題ではありませんが、
あなたが実際に自分の目で見たこの状況と、自分の取った行動について考え続けることは
きっと無意味なことではないかと思います。
さいごに、
物乞いに対して見て見ぬふりをすることで
自分は困っている人間を簡単に見捨てられる人間なんだと罪悪感を感じる事もあるかもしれませんが
罪悪感を感じる時点であなたは十分優しい心の持ち主ですので安心してください。