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青年海外協力隊の派遣国 ジンバブエのハイパーインフレはどうして起こった?

ハイパーインフレで有名なジンバブエってどんな国??

今回は「南部アフリカ・ジンバブエ共和国」をテーマにお話します。

 

2018年の大統領選挙の影響で派遣がストップしていたジンバブエですが、2019年に入り青年海外協力隊の派遣が再開した模様です。

 

今回はジンバブエを語る上で欠かすことの出来ない「ハイパーインフレ」を中心に解説していこうと思います。

 

ジンバブエという名を知らなくても、「ハイパーインフレの国」や「0がたくさん並んでいるお札の国」なんかでピンと来る人も多いかも知れませんね。

 

ジンバブエってどんな国?

まず最初に、簡単にジンバブエ共和国の概要をお話します。

 

ジンバブエ共和国は南部アフリカ、モザンビークの西に位置する内陸です。

公用語は英語。現地語としてショナ語・ンデベレ語という言葉が使われていますが、国民の英語レベルは高いようですね。

 

2017年のクーデターまでは30年以上に渡りロバート・ムガベ氏が大統領を務めていました。

当時既に90歳を超えている高齢でしたが、ムガベ氏の独裁国家としても非常に有名で、

某世界の独裁国家ランキングでは1位の北朝鮮に次いで2位にランクインしていたとか。

 

青年海外協力隊の派遣人数はそれほど多くないものの、スポーツ系や芸術系の職種の隊員が多く派遣されている一方で、青少年活動やコミュニティ開発といった定番の職種はそれほど多くないみたいです。

 

観光地としては世界三大瀑布のビクトリアフォールズが有名ですね。

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そもそもハイパーインフレとは何か?

ジンバブエでハイパーインフレが起こったのは2008年頃。

2007年頃には激しさを増してきたインフレも2009年にUSドルと南アランドの国内決済を可能にしたことにより終わりを迎えました。

2008年7月のインフレ率は2億3100万%だったそうです。

2億パーセントと言われても・・・・ちょっと冗談みたいな数字でイマイチピンと来ないですよね。

 

インフレというは物価が上昇する事、もしくはお金の価値が下がる事というのは学校でも習って知っているかと思います。

昨日100円で買えたパンが、今日は10,000円になっている。

超簡単に言うとこのような感じです。

定義としては月率50%を超える物価上昇の事をハイパーインフレと言うようです。とにかくスゴイ勢いで物価が上昇し、お金が価値を失っていく状態と考えればいいでしょう。

 

持っているお金がどんどん価値を失っていく・・・・・恐ろしい話です。

ジンバブエ・ハイパーインフレのきっかけは?

ハイパーインフレのきっかけは黒人中心の政治への転換でした。

簡単に経緯を説明しますね。

 

ジンバブエという国が誕生したのは1980年。それ以前は、ローデシア(南ローデシア)という名前の国でした。19世紀後半にイギリスの植民地になり、白人が支配していた時代です。

ローデシアがジンバブエとして独立する以前は白人の大規模農家による効率的な農業が行われており、経済的にも安定していました。

 

「アフリカの宝物庫」と呼ばれていたのを聞いたことがある方もいるかも知れません。

 

ジンバブエが独立を果たし、大統領に就任したムガベ大統領は、当時内戦状態であったコンゴ民主共和国に軍を派遣します。これはムガベと親交のあったカビラ大統領を助ける為という名目でしたが、コンゴの地下資源が目的だったとも言われています。

 

 

ムガベはコンゴのへの派兵に注力するあまり、ジンバブエ国内を疎かにしてしまいます。

その結果、ジンバブエの経済や教育、医療は次第に悪化し、ムガベに対する国民の批判が相次ぎました。

そこでムガベが取った政策が白人農場の強制収容です。

これは国民の批判の矛先をそらすために行ったのではという意見もあります。

 

かつての韓国の大統領たちが、自分の人気が落ちると不満の矛先を日本にすり替えていたのと似ていますね。

ハイパーインフレの原因 白人大農場の強制収容

当初こそ、白人と黒人の融和政策を進めていたムガベでしたが、2000年に白人の所有する農場を強制収容し、黒人に再分配する「ファスト・トラック」という政策が実施されます。

 

 

こうして白人を追い出し、もともと自分たちのモノであった土地を奪い返したのはいいものの、白人たちの農業技術までは受け継がれなかったんですね。

 

著しい農業技術の低下によって、ジンバブエは食糧危機に陥ってしまいます。

アフリカは干ばつなどもありますからね。やはりそれなりの知識や技術は必要なのだと思います。

 

食料が生産できないと食料の供給量が減りますので、当然価格は高騰し、インフレになっていきます。

ざっくりとした流れはこんな感じですね。

 

他にも、ついこないだまで存在した「インディジニセーション」という法律。

これは、外資系企業は株式の過半数を現地の黒人に譲渡しなければならないというものです。
結果、日本企業も含めた多くの外資系企業はジンバブエから撤退しました。

このようにして流通経路もなくなり、物資が不足し、インフレが加速していったと言う訳です。

そして現在のジンバブエは??

ハイパーインフレが終焉を迎え、ジンバブエは自国通貨を失います。

主な通貨はUSドル。

そして2016年頃、新たな問題が浮かび上がってきました。

それが「現金不足問題」です。

 

 

国内の現金が足りなくなって、銀行からお金が下せない、という事態になってしまいました。

そこで政府が取った政策が「みなし紙幣の発行」です。

 

みなし紙幣(ボンドノート)というのは簡単に言うと、

「これはUSドルと同じ価値がありますよ」と政府が定めたチケットのようなものです。

 

ジンバブエ政府が勝手にUSドルと同じ価値があると言っているだけなので、もちろん他の国で両替なんてできませんし、輸入する事だってできません。

 

するとどうなるか・・・

ボンドノートの価値が下落し始めます。

 

海外送金したい外国人は、ちょっと割高でもUSドルが欲しいですからね・・・

例えば、105ボンドノート出すから、100USドルと替えてくれ

というような取引が成立してしまう訳です。

 

一時期ジンバブエのビットコインもとんでもない高値になりましたがこちらも似たような理由です。海外送金したい人は、

※ジンバブエでは現金の国外持ち出しの規制がありましたので、結局それでおいしい思いをするのは難しかったと思います。

 

そして、このボンドノートとUSドルの価格差は広がるばかり。

2019年になってからは7倍とか8倍とか、そのくらいの差が出ているようですね。

 

すると、当然お店も値上げを始めます。

聞いた話だと、USドル価格とボンドノート価格の2つの価格が存在するらしく、

パン一斤1ドルで売られていたとして、ボンドノートで支払う場合は6、7ドル支払う必要があるとか・・・

 

ローカルの人たちは給料をボンドノートでもらっていますが、その額はUSドルでもらっていた時から変わっていないという事です。

どういうことかというと・・・・

南部アフリカ圏の公務員の一般的な月収は400ドル程度と言われていますが、そのまま400ボンドで支払われている、という事ですね。

ボンドノートの下落を考えると実質100ドルももらっていないという事になります。

 

皆さんお気づきだとは思いますが、その通り・・・・

あの忌まわしいハイパーインフレと同じことが再び繰り返されているのです。

 

ジンバブエ政府も色々と金融政策を打ち出しているみたいですが・・・・正直そう簡単に解決する問題ではないかと思います。

まとめ

現在のジンバブエは、ローカルの人ほど苦しめられるシステムになっていますね。

 

JICAや協力隊の隊員はUSドルを手にすることが出来ますので、日常生活で困ることはそれほどないのかもしれませんが、

このような経済状態ではいつ崩壊してもおかしくない気はします。

 

ちなみに、崩壊したジンバブエドル紙幣は今やジンバブエのお土産の代表格で、Amazonでも結構いい値段で取引されています。

ビクトリアフォールズで0がこれでもかという位ならんだお札が売られていますので、旅行に行った際には買ってみるのも良いかもしれません。

ちょっとはネタにはなるかと思います。