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青年海外協力隊 筆者自身の2年間の体験談まとめ

 

青年海外協力隊経験者の体験談をたくさん知りたいけど、ブログや日記を読むのは大変・・・
もう少し2年間の体験談をまとめて欲しい!!
今回は「私自身の青年海外協力隊の体験談」というテーマでお話します。
青年海外協力隊の隊員でブログなどを通じて情報発信している方は多いと思います。
青年海外協力隊の体験談といっても隊員一人ひとりが異なる体験をしているので、2年間の派遣国での生活の参考にするために多くの体験談を見聞きするのは悪くない事だと思います。
しかし、
青年海外協力隊に応募しようと考えている人たちが知りたいと思う情報、例えば
  • 応募の動機
  • 青年海外協力隊に参加して良かったこと
  • 活動で大変だったこと
  • 帰国後の進路
等、「一人の青年海外協力隊の歴史」がまとまっている記事というのはあまり多くないのではないかな、と思います。
という訳で、今回は「私自身の体験した青年海外協力隊 まとめ」という事で、
私の2年間を超要約してまとめてみましたので良かったらご覧ください。




職種や派遣国など基本情報

まずはじめに、私自身の要請について、簡単に紹介しておきます。

職種 人的資源のどれか
派遣国 アフリカ・サブサハラ地域のどこか
配属先 地方都市の職業訓練校
活動言語 英語
派遣時期 2010年以降

 

早速出鼻をくじいて申し訳ないのですが、

いくつかの情報に関しては明言を避けておきます。

理由としては、それほどメジャーな職種ではない為、特定するのが非常に簡単だから、ですね。

特定されても問題はあまりないのですが、サイトのテーマの性質上情報発信が少しやりにくくなってしまいますのでご理解いただければと思います。

 

地方都市の職業訓練校で○○を指導する。

これが私の要請です。

青年海外協力隊 応募の動機

青年海外協力隊に応募した頃、私はすでに30代半ばでした。

同期には私よりも年上の人はいましたが全体的に見れば上の方。1次隊でしたので、新卒の参加者も多かったですからね。

 

応募の動機としては、「とにかく人生を変えたかった」

 

 

私の仕事は専門性が高いものでしたが、社会的にはそれほど価値のある仕事ではありませんでした。少なくとも私はそう思っていました。

世の中に貢献している実感もなく、このまま仕事を続けていても大きな希望もありません。それに一般的な仕事と比較しても激務でしたからね・・・

とにかくもっと価値のある(と自分で思える)人間になりたかった。

青年海外協力隊への参加を通じて、海外で活躍できるような人間になりたかった。

 

当時は青年海外協力隊のことは、名前程度しか知りませんでしたが、応募の決め手となった事は「2年間でお金がある程度支給される」のを知った事です。

私自身、応募するほんの少し前までボランティア=無給だと思っていましたからね。

英語の勉強も学生以来。

国際協力や世界の貧困問題に対して深く考えた経験も、ボランティア参加経験も特にありませんでした。

 

青年海外協力隊の選抜試験に関しては特に問題はありませんでした。

また別の記事で紹介しますが、私の職種は定員割れしていた事もあり、2次試験の技術面接が終わった時点で合格は確信していました。

訓練中~派遣初期

派遣前訓練中

訓練中のモチベーションはかなり高かったですね。

当時は英語力に自信がありませんでしたので(結果的には上の方のクラスでしたが・・・・)

とにかく英語力の向上に重点を置いていました。

生活班や各種コミュニティの飲み会やイベントにはかなり消極的でしたが、気分転換のためのスポーツは積極的に行いました。

あまり社交的ではなかった自分でしたが、訓練所で出会った動機たちとの関係は決して悪いものではなく、青年海外協力隊の任期が終了して何年も経った今でも交流は続いています。

 

 

私の訓練所生活は今思い返してみても非常に充実したものでしたが、

今振り返ってみるともっと多くの人と交流しておけば良かったという事が心残りではあります。

ここでのたくさんの人との出会いは私の人生にとって大きな財産になったと心から思っていますね。

 

派遣後初期

 

実際に派遣される前後は、活動に対してかなりプレッシャーを感じていました。

自分にちゃんと任務が務まるだろうか。

配属先の人たちにがっかりされないだろうか。

 

前任の活動が日本のテレビでも取り上げられてたこともあり、

前任の存在が私にとっては大きなものに感じられていたからですね。

派遣後にJICAの所長からも、前任を引き合いに出されてプレッシャーをかけられたことを覚えています。

 

 

しかし、今から考えればそんな心配は全く無用でした。

私の同僚や指導する対象である生徒のレべルが非常に低い事は、私でも配属されて数日で気が付きました。

 

私の職種の技術や知識を教える以前の問題である

 

これは派遣前からある程度予測していましたが、実際に現地を目の当たりにしたら想像以上でした。

 

 

私の前任は任期を1年延長して計3年間滞在していたのですが、

「前任は一体何をやっていたのだろう・・・」

「3年もいて、なにも残していないじゃないか」

このように感じました。

 

活動が始まって、最初の悩みは

「やることがない」

 

1次隊は6月末~7月に派遣されるのですが、この時期学校は試験の時期なんですね。

試験中は授業はないし、試験が終われば1か月のターム休みです。

 

カウンターパートからも、

「次のタームが始まったら忙しくなるから」

と言われ、まあ、1か月は準備期間かな・・・・と授業計画を立てながら学校が再開されるのを待ちました。

 

1か月後、次のタームが始まっても状況はあまり変わりませんでした。

私自身が担当する授業は週に2回だけ。

せっかく準備しても生徒が学校に来ない。

 

 

むりやり他の先生の授業を手伝うだけ。

授業に必要な教材を購入するために学校からお金をもらおうとしても、お金をもらうための手続きがあまりにもずさん過ぎて、とにかく時間がかかった挙句お金を手にすることが出来ず、自分の現地生活費から持ち出しで教材を買う事も珍しくありませんでした。

 

活動初期の段階では、各国で同じように頑張っている動機たちの状況がよく入ってきます。

みんな最初はSNSに投稿しますからね。

動機が活動で活躍している姿を見て、焦る気持ちが強かったのを覚えています。

今から考えれば、SNSには良い事しか書かない人も多いので実際の現地の状況と投稿内容はギャップがあることが多いものなのですがね・・・・

 

活動初期に私が感じていた事

「自分は無理やり活動をするためにここにいるな」

 

活動中期

活動が始まって数か月たっても、以前やることはほとんどありませんでした。

授業は週に1~2回程度。

学校のイベントがあればすぐに授業は中止になるし、そもそも・・・・

 

新学期が始まって1週間は授業ナシ

残りの1か月は試験

という感じで、3か月ある1学期の内、実際に授業を行うのは半分程度なのですね。

 

この時はまだ活動で成果を出すことにこだわっていましたので、

暇な時は私の任期が終わってからも利用できるようにと、とにかく教材を作成していました。

たまにある大きなイベントに帯同して、集中的に指導を行う事はありましたが・・・

もう現地のニーズもなにもありません。

とにかくやることを探し、活動に無理やり意味を持たせようとする。

それが私の活動でした。

 

 

現地の人たちが私の技術や知識を必要としていない・・・・

口では教えて欲しい、技術を身に付けたいと言っていても、全ては建前だという事はもう十分感じていました。

 

 

  • ホッチキスを貸してくれ
  • ペンを貸してくれ
  • お金を貸してくれ

 

まるでドラえもんみたいに道具係にされる毎日に、正直嫌気がさしていました。

ただ、そんな中でも救いはありました。

 

それは、

本当にやる気があって、

卒業証書ではなく役に立つ技術を身に付けたいと思っている数人の生徒の存在です。

 

私の活動は、今後このやる気のある生徒たちへの指導を中心としたものになっていきました。

私は彼らの為にここにいる。

自分を必要としてくれている人がいる。

 

私がここにいる意味をようやく見つけたようで、本当にうれしかったですね。

 

放課後授業が終わってからマンツーマンで指導をしたり、週末自宅で自主講座を開いたり・・・・

その流れで参加する生徒も少しずつ増え、生徒との関係も次第に深くなり、活動の幅も広がっていきました。

 

しかしながら・・・・

これは国際協力か?

多額の税金を投入してすることか?

と問われると、

素直にハイとは言えませんよね・・・・

活動後期

派遣されて1年も過ぎたあたりで、私は活動にほぼ見切りを付けました。

 

やる気のない人たちに無理やり何かを教えてもしょうがない。

とにかくやる気のある生徒たちに何か残せれば良い。

 

 

それだけでした。

活動を終えた後は途上国でビジネスをする計画を立てていましたので、その計画と準備に集中していくことになります。

 

そして実際に任期終了後、実際に途上国に渡り、現在進行形でビジネスを行っています。

途上国でのビジネスは簡単なモノではありませんが、今後どういう結果になったとしても私の人生は大きく変わりましたし、決断に後悔はありません。

 

派遣国や配属先に必要なものは何か?と聞かれたら、

「やる気・情熱」

と私は答えます。

 

やる気や情熱さえあれば、彼ら自身が国を変えていくことは十分に可能だと思います。

 

先進国との違いはただそれだけ。

 

彼らはただ怠惰で自分勝手ですべてを他人のせいにしている

それが私の結論です。

お金がないのも、医療やインフラが整っていないのも、結局は彼らが怠惰に日々を送っているツケ、という事ですね。

 

 

今や途上国でもインターネット環境は整っていますからね。外部の情報を得たり、外部からの助けを求めることもその気になれば出来ないことではありません。

 

私のミッションは、本当に助けを求めている情熱のある人に力を貸す事。

それは今でも変わっていません。

 

私の2年間もギューッとまとめるとこのような感じになります。

まとめ 青年海外協力隊に参加して感じたこと

私は青年海外協力隊は国際協力だとは思っていませんが、青年海外協力隊という制度自体には賛成です。

なので、協力隊に参加して「良くなかった事」というのは基本的にはありません。

 

強いて言えば、「青年海外協力隊は国際協力なんかではないし、JICAの言う事はほとんど建前」という事をはじめから分かっていればもっと時間を有効に使えたのかもしれません。

ただ、「それも含めての青年海外協力隊」という気持ちもありますので難しい所ではありますね・・・

 

やる気を失う時期が全くなかったかと言うとウソになりますが、

私はかなり早い段階から任期終了後の事を見据えて行動していましたので、腐って「遊んで時間を潰す」という事はありませんでした。

目標があったから、何とかなった、という事ですかね。

 

「活動」という観点で考えると、

現地に残せたものは活動初期~中期に時間をかけて作成した教材ですが、現地人が今も有効活用しているとは思えません。

 

 

数人の生徒には、私の職種に関する技術と知識を教えることが出来ましたが、

2年間の活動で配属先を変える、改善する、という事に関しては何も出来なかったと言えるでしょう。

 

その代わり、私自身が得たものはたくさんあります。

 

  • アフリカを実際に自分の目で見て、自分なりに発展途上国の現状を把握できたこと
  • 派遣国を知る、数少ない日本人になれたこと
  • 英語力が伸びたこと
  • たくさんの人脈が出来たこと
  • 怖いものが無くなったこと(?)

 

このあたりが、協力隊に参加して良かったこととして挙げられると思います。

反面教師としてでも構いませんので、何かの参考になれば幸いです。

 

活動を通じて感じたことや、私なりの意見はこのサイトで様々な切り口でお話していますので、興味のある方は是非ご覧になっていただければと思います。